フロイトとユング

橋本  康宣

 ジクムント・フロイトは精神分析学の創始者である。患者に自由に語らせる自由連想法、そ して夢分析を精神分析の手法として導入した。神経症の研究を行い、神経症の原因は性的葛藤 にあるとする「性欲理論」を打ち立てた。その他、性のパワー「リビドー」の存在や「エディ プスコンプレックス(母親への近親相姦愛)」といった性にまつわる概念を提唱した。
 一方、カール・グスタフ・ユングも精神分析学の創設に関わった一人で、一時はフロイトの 後継者と嘱望されていた。しかし、全てを「性」で説明しようとするフロイトの理論に疑問を 抱き、やがてフロイトと袂を分かって、新たに精神分析の一派を起こした。個人の幻覚や妄想 と神話や伝説等の間に共通のパターンがあることに気付き、「元型」という概念を導入した。 個人的無意識の他に人類共通の普遍的無意識が存在する、としたところがユングの学説の特徴 である。
 本稿ではこの二人の命造を解命してみたい。

ジクムント・フロイト

生時について

 父親の所持していた聖書に記された生時は午後六時半。父親は子供達の中で本命を特に可愛 がっていたため、特別に聖書に生日、生時を記したものであり、虚偽の生時を記録するとは考 え難く、信用できる記録と考えられる。ただし、年代を考えると時計の精度はあまり高くない と思われるので、前後二刻を合わせ、壬申、癸酉、甲戌の三刻の比較を行い、甲戌刻と推定し た。比較検討の要点は後述する。

解 命

ジクムント・フロイトの命造

 日干己土、巳月火旺に生れ、丙 火透出する「印綬格」。
 天干の冲尅合は己癸尅、甲己合の情不専。地支は冲尅合局等なく 全支個有の支。日干己土は時支戌・日支丑に通根し、月支巳中丙火 より生ぜられる。しかし、時干の甲木に尅され、丑中己土は比劫と しては無力であり辛金に洩らし、月干の癸も尅さなければならないため、 日干は、不強不弱のやや弱となる。
 食傷の金は巳中庚金、丑戌中の辛金とあるが、丑中辛金以外は無力。 日干の力量を考えるとあまり強くない方がよい。運歳によって才能発揮の契機がある。


 財の水は月干と辰丑中の癸水のみ。有力な水源は丑中辛金のみであるのでそれほどの力量は ない。また調候となる壬水がないのが特徴。
 疏土する官殺の木は時干甲木と辰中乙木。時干甲木は丑中癸水から滋木培木され有力。この 有力な甲木より攻身されて日干の減力大。
 印の火は年干と巳中の丙火、戌中の丁火。丙火は丑と辰に納火され強旺とならず。丑と辰は 晦火晦光して調候的働きあり。月干に癸が透出していることもあり、調候壬水がない欠点は相 当に救応される。また巳中丙火がよく日干の助けとなる。
 五行のバランスを見ると、金がやや弱いが、大きな偏りはない。さらに蔵干であるが、「己 干用印官徹名清」となる丙が日干に有情となり、さらに日干有根である点が美。日干己土の その特性、「陰干弱きを恐れず」であり、「不愁木盛。不畏水狂。火少火晦。金多金光。」である。 年干の丙火より、火土金水木火土と流通する始終あって、「精神」あり。
 以上より、用神丙、喜神火土、忌神金水木。日干不強不弱のやや弱であって、一応忌神とす るも大忌となるほどではなく、甲木疏土にある程度耐え得られる命であり、「源半清」となる。


 次に流を観る。

立運前
 喜となる火土の流年は1~3才までと、10才で、その他は忌の流年。

第一運  10才~20才  甲午
 天干、甲己合だが、日干は原局で既に情不専。地支は午戌火局半会。天干に通関となる丙火 なく、二甲木が攻身して忌の傾向性ある大運。家庭環境である年柱丙辰は本造をよく救応する。
第二運  20才~30才  乙未
 天干、乙己尅だが、日干は原局で既に情不専。大運支は未にて、未辰丑戌の四庫全くする。 火土団結し未支にも通根して日干強となるも、時干の甲木疏土し、喜の傾向性ある大運。
第三運  30才~40才  丙申
 天干、冲尅合なく、地支、申巳合去。助けとなっていた巳中丙火が去となるが、代わりに大 運干丙火が時干甲木の攻身に対する通関となる。さらに、日干は年支辰にも通根する。喜の傾 向性ある大運。
第四運  50才~60才  丁酉
 天干、丁癸尅だが、癸水は原局にて既に情不専。酉は金局と辰酉の合で情不専。旺令の巳支 に通根する丙火が酉金を制し、また辰丑の湿土が生金する。原局の丙火に助けられた大運干丁 が甲木の攻身に対する多少の通関になる。喜忌参半の傾向性ある大運。
第五運  60才~70才  戊戌
 天干、戊癸合、甲戊尅の情不専。地支は辰戌冲去。有力な戊土が大運干に透出し、喜の傾向 性ある大運。
第六運  70才~80才  己亥
 天干、己癸尅、甲己合の情不専。地支は巳亥冲去。巳が去となるが年支辰が日干の根になる 点が救い。亥巳冲去は、巳申亥子寅で解冲し、亥支戻るはよろしくなく、喜忌参半の傾向性ある大運。
第七運  80才~90才  庚子
 天干、丙庚尅、庚甲尅の情不専。地支は子辰水局半会と子丑の合の情不専。庚金の水源は丙火より の制あるも、大運支子により原局巳中丙火が弱まり、巳中の庚金も水源となり、食傷財 への洩身が強まって忌の傾向性ある大運。
第八運  90才~100才  辛丑
 水旺四年、天干は丙辛合して化水。地支は冲尅合なし。大運支丑は水源深く、年干丙火が化 水して壬水となって月支巳中丙火は滅火される。巳中庚金が有力となり、尅洩交加。戌中戊土 のみが扶けとなる大忌の大運。この水旺運中に死亡。

 以上より流は、「前半清半濁中後半清」。

性  情

  • 二陰二陽でやや陰性の性格。
  • 日干己土時支戌であり、几帳面で潔癖。日常生活は予定に従い、時間通りに進めた。
  • 癸水と丑土により柔軟性がある。神経症の研究を粘り強く行い、結果、性欲が神経症に深く 関わっていることが分かると、当時の社会的な許容度に関わらず、その結果を受け入れ、発 表した。丑の独創性、巳の研究心もこれに関わる。また、辰の正義感と甲木戌土の剛直性が そのようなタブー視されかねない説を発表する勇気を与えたと考えられる。
  • 己土、癸水と、色情を表す。精神分析の前はウナギの生殖腺の研究であり、一貫して性に関 わる研究をしてきたことに対応していると思われる。
  • 丙火あるので、派手で上品。己土の規律正しさ、戌の潔癖さが合わさり、身だしなみには気 を使う。毎日理髪師に髭の手入れをさせるほどである。
  • 丙火は慈悲心につながり、巳、丑もまた同情心である。また、丑は親分肌でもある。経済的 に困窮している若者に援助を与えたりもした。また、非常に子煩悩なことにも関係している と思われる。戌支も子煩悩を示唆している。
  • 辰はロマンチストである。骨董の収集を趣味としたことに表れていると思われる。

病  源

 五行のバランスは極端に偏っておらず、原局で大きな病源はない。強いて言えば金がやや弱 い。運歳により埋金となる可能性がある。実際、腸炎を患い、便秘に悩んだ。
 一方、原局で日干己土が弱いため、運歳により金への洩身太過となる可能性もある。実際、 己亥運中に上顎がん(じょうがくがん)となり、33回も手術を受け、最後は顎の半分を取る までになった。
 己丑の生命力あり。そのためか、66才でがん発症するも、83才まで延命した。

※上顎がん
 鼻腔(びくう)の外側に左右四つずつある副鼻腔の内、最大の上顎洞(じょうがくどう)に 発生したがん。副鼻腔の機能は、発声時に音声を共鳴させるため、とか、頭蓋骨を軽くするた め等、諸説あるが、未だよくわかっていないようである。鼻腔であるので土の部位。因みに副 鼻腔の炎症が蓄膿症である。

容  姿

 病源の項目で述べたように五行に極端な太過不及はない。実際、髭を生やしていて口はわか らないが、目鼻立ちに極端に偏ったところはない。強いて言えば目は若干小さく、鼻が若干大きめ。 子供の頃の写真では口がやや大きい程度。また、木はそれほど強くないので身長はあまり 高くないと考えられるが、実際、身長は170センチメートルで、西洋人としては低い方である。 ただし、甲木透出しているためか、眼光鋭く、眼に力がある。

六  親

 印は比較的有力で、財もある程度の力量はあり、両親は長寿(母、享年95才。父、享年81才)。 父親は再婚でフロイトの母親は父親の三番目の妻。
 フロイトは母親にとっては長男(八人兄弟)だが、最初の妻の子として二人の異母兄弟あり、 二人とも息子。兄弟仲はよかった模様。日干不強不弱のやや弱で比劫喜神のため。
 配偶支は土金水と財を生じ忌であるが、用神は日干の助けとなり、また日干それほど弱くな く、財の忌も軽いため配偶縁はあまり良好ではない程度。実際、離婚はせず、妻は家事のきり もり、フロイトの世話をよくした。ただし、相談相手にはならず。代わりに同居をしていた妻 の妹が聡明でフロイトの話相手になる。ここのところ、複雑な関係が推測される。
 子供は六人いる。これは官殺忌であるが、大忌というほどではなく、また時支戌は喜であり、 さらに水も適度にあるためである。また年代から考えると六人という数は極端に多い数ではな い。また子供たちのことは非常に可愛がった。この点は性情によるところが大きいと思われる。

適  職

 忌をもって適職と考えると、金水木となるが、木は運歳によっては土多の憂いある場合の薬になるので、 金水が比較的重い忌である。金は分析的な働きであり、水は智である。さらに巳の研究心、丑の独創性を考えれば、 研究者、精神分析医という職業は適職であろう。
 大運中で日干強となることあるが、その場合も戊己土の医学関係が適職である。

そ の 他

  • 運歳によっては食傷不及、あるいは食傷太過の憂いがあり事故体質。手術の回数の多さはそ の表れ。
  • ヘビースモーカーであった。上顎がんの原因となったとともに、呼吸器(金)もダメージを 受けていたと考えられる。煙草は火。
  • 少なくとも晩年は眼鏡をかけていた。木は太過というほどではないので年齢的なものであろ う。

運歳による事象

 以下、何才という記述は、その年令になる誕生日が含まれる年という意味である。

立運前
  • 3才己未年、未辰丑戌四庫揃い全支個有の支。 この頃フライブルグ(チェコスロバキア)からウィーン(オーストリア)に移住。
  • 年柱の救応が示すように、幼少時の家庭環境は良い。両親から非常に大事にされた。
  • これは一生を通じてのことであるが、ユダヤ人ゆえに差別、迫害を受ける。 甲木攻身がそれを表す。
第一運  10才~20才  甲午  午戌火局半会
 地支で火が有力となり、一応の救応とはなるが、天干に日干と有情となる位置に丙火がない ため、二甲木から日干尅傷され、環境の悪さを示す。ユダヤ人ゆえの差別、迫害といった社会 的圧迫である。ただし、そういった社会環境(反ユダヤ主義)に対しては反発。学校(ギムナ ジウム)の成績は良かった。
第二運  20才~30才  乙未  未辰丑戌四庫揃い全支個有の支
 火土団結するが、時干甲により疏土される。喜の傾向性ある大運ではあるが、未丑冲の情に より、丑の忌象が出る可能性がある。つまり丑中辛金有力とならず、才能発揮にやや難がある。
 17才で大学(医学部)に入学し、25才で卒業(普通より早く入学し、普通より遅く卒業)。 研究心旺盛で研究に没頭。大学ではウナギの生殖腺を研究。とことん追求しなかったために、 今一歩で成果にならず評価されなかった。食傷無力のゆえと考えられる。また、ユダヤ人差別 という環境は続く。
  • 24才庚辰年、四庫揃っているので辰戌冲去せず。 土がさらに強化される。流年干庚は原局丙火より制せられ、やはり才能発揮にはやや難がある。 この年より喫煙の習慣が始まる。中々研究成果の出せない苛立ちからか。
  • 26才壬午年、壬丙尅去。巳午未の南方。他は個有の支。南方は丑辰の二湿土に納火され救応。 しかし、やや沸水となり財の忌象あって喜忌参半の流年。この年婚約(会ってから二ケ月) したが、大学の研究室を出て、総合病院に就職。父親の経済状況が悪く、金銭的理由が主で ある。
  • 29才乙酉年冲尅合変化せず。一甲二乙より日干尅されるが、四庫揃い、火土団結している ので官殺の攻身には耐えられるものと考えられる。この年大学の「私講師」という地位に着 く。これは、教授職ではないが、教授の資格を持ちつつ教育活動を行う地位で、将来の教授 昇格がほぼ約束される地位。ただし、フロイトの場合、教授昇格は遅れる(この点については後述)。
第三運  30才~40才  丙申  申巳合去
 用神丙火が甲木との通関となり、喜の傾向性ある大運。日干洩身に耐えられ、この運より徐 々に才能発揮がなされてゆく。この大運干の丙火は流年で去となることはない。
  • 30才丙戌年さらに辰戌冲去。三丙透出して印太過だが、 日支丑と月干癸水が救応。やや喜の流年。 この年病院を辞め、診療所を開設。ただし、大学での研究は続ける。九月に結婚。
  • 31才丁亥年、巳亥冲により申巳解合。五行流通し喜の流年。 第一子(長女)誕生。また、ヴィルヘルム・フリースという人物と出会い、親友となる。 フロイトが同性愛的感情を抱いたと告白した人物。原局壬水(男性ホルモン)がない点に注意。 フリースは耳鼻咽喉科医であったが、現在は病的な数秘学者と見なされている。
  • 37才癸巳年、申巳解合。二丙透出に加えて巳が二つあるが、 辰丑に納火され申支もあり救応。やや喜の流年。 この年、胸部に痛みを感じ、不整脈となる。喫煙の影響と考えられる。大事には至らず。
  • 39才乙未年、四庫揃い未辰丑戌は個有の支、申巳合去のまま。 喜の流年。「ヒステリー研究」刊行。喜運の一つの結晶である。 この頃より診療所の経営も順調となり、経済的余裕も出るようになる。
第四運  40才~50才  丁酉  冲尅合の変化なし。
 原局丙火が大運干丁火を助けるので、やや力量に不足するが、丁火が甲木攻身に対する通関 となり喜の要素。一方で酉金は丑辰に強化されるが、原局巳支に通根する旺令の丙火であり酉金 をある程度は制する。ただし、丙火の位置無情であって財官の喜象を引き出すには不足する。 この運中に教授に昇格はするが、紆余曲折がある。
  • 40才丙申年、西方を成す。二丙天干にあるが、辰土と丑土が通関もするので薬の作用が劣る。 忌の流年。この年父親他界(享年81才)。寿命と考えてよいと思われるが、金多にして水の 忌強まり父死亡が暗示されていると言えなくもない。
  • 41才丁酉年、冲尅合の変化なし。二丁が甲木攻身の通関となるが、二酉となって食傷も強化 されるので、喜忌参半の流年。員外教授に昇格(教授だが無給の地位)。私講師から員外教 授への昇格まで12年かかった。通常四、五年で昇格であり、フロイトの場合、異常に長い。 1875年から1900年の間に私講師になった百人の中で、フロイトの記録は五番目の長 さである。これには、当時のユダヤ人に対する差別と、大学所管の行政官に、フロイトの性 を扱った理論に対する偏見があったことと、フロイトのコネを使いたくないという潔癖性の 三つの原因がある。
  • 43才己亥年、冲尅合の変化なし。洩身強まり忌の流年。「夢判断」刊行。前の著作と合わせ、 重要な論文を発表したものの、社会的に受け入れられるまでにはまだ時間が掛かる。前運は 良かったが、この大運が喜忌参半であり、良い流年もあまりないためである。
  • 45才辛丑年、冲尅合の変化なし。 食傷強化され、忌の流年。考えを変えて教授昇格につき、教育大臣に働きかけを行う。
  • 46才壬寅年、冲尅合の変化なし。壬水が制火し忌の流年であるが、 寅支にて水木火土の救応もある。働きかけが功を奏して教授に昇格する。この年より、水曜心理学協会という勉強会 を水曜の晩に開くようになる。ただし、当初集まったのは地元の弟子である。
第五運  50才~60才  戊戌  辰戌冲去
 戊土の幇けが生じ、喜の傾向性ある大運。フロイトの理論が社会的に受け入れられてゆく。
  • 50才丙午年、午戌戌の火局半会以上の情により辰戌の冲は解き、時支戌と流年午との火局半 会が残る。印太過は辰丑が納火して救応となる。やや喜の流年。この年フリースと訣別。フ リースはあまり好ましい人物とは思えず、縁が切れて良かったのではないかと思われる。同 じ年ユングとの文通を始める。
  • 52才戊申年、さらに申巳の合去。二戊土透出するが、甲木制土して喜の流年。水曜心理学協 会は国外の会員が参加するようになるが雰囲気は悪くなる。地元の弟子のレベルが低いのに対して、国外の弟子のレベルが高いため。
  • 53才己酉年、冲尅合に変化なし。日干洩身に耐えられ、やや喜の流年。アメリカのクラーク 大学より名誉法学博士号を贈られ、講演のためにアメリカに招待される。大運が良く、流年 も比較的良い流年が続いたため、社会的認知が高まったと考えられる。
  • 54才庚戌年、辰戌解冲。土多であるが、甲木が薬となり、 やや喜の流年。国際精神分析学協会を設立する。
  • 55才辛亥年、丙辛合去。巳亥冲去。丙火が全て去となり忌の流年。 有力な弟子であるアドラーが離反する。
  • 56才壬子年、冲尅合に変化なし。財が強くなり、忌の流年。この頃より徐々にユングがフロ イトより離れてゆく。ユングがフロイトの性欲に関する理論を受け入れられなかったため。
  • 58才甲寅年、冲尅合に変化なし。官殺強化され忌の流年。ユング離反。
第六運  60才~70才  己亥  巳亥冲去
 日干に有情であった巳中の丙火が去となるが、接近した辰土が日干の根となるので喜忌参半 の傾向性ある大運。自宅兼診療所で診療と研究を続け、学者としての地位は揺るぎないものとなってゆく。 一方、この運中、土金の病として、上顎部にがん発病。
  • 61才丁巳年、巳亥解冲。日干に有情な丙火が戻り、やや喜の流年。「精神分析入門」刊行。
  • 66才壬戌年、壬丙尅去。辰戌冲去。日干弱くなり忌の流年。 上顎部にがん発病。前々年庚申、前年辛酉と続き、湿土生金の情強く、壬戌年は丙火と巳と辰が去となる日干弱にて、 土弱で金に洩身したためのがん発病と考えられる。翌年手術を行い、その後、第八運にかけて33回も手術を行う。
  • 68才甲子年、北方を成し、巳は原局に戻る。二甲木が不十分ながら納水する。ただし、甲は 制日干となる忌神。「自我とエス」刊行。
第七運  70才~80才  庚子  冲尅合の変化なし
 火が弱まり、ますます健康が衰弱していった。
  • 74才庚午年、冲尅合に変化なし。金太過の忌の流年。この年母親他界(享年95才)。
  • 77才癸酉年、冲尅合に変化なし。洩身太過の忌の流年。この年ナチス政権樹立。 以後迫害が強まる。「続精神分析入門」刊行。
  • 79才乙亥年、亥子丑の北方全。 救応なく、大忌の流年。この年の冬、健康が衰弱し、階段も上れなくなる。
第八運  80才~90才  辛丑(水旺)  丙辛化水
 滅火され、ますます健康が衰弱してゆく。
  • 82才戊寅年、冲尅合に変化なし。 殺印相生の戊土が流年干であり、喜の流年。外交チャンネルを通じての交渉により、ナチを逃れ、 イギリスへ亡命。「精神分析概説」執筆。死後1940年に刊行。
  • 77才癸酉年、冲尅合に変化なし。洩身太過の忌の流年。この年ナチス政権樹立。 以後迫害が強まる。「続精神分析入門」刊行。
  • 83才己卯年、卯戌合去。水が強く、滅火され救応なく大忌。 病状悪化し、九月にモルヒネ注射による安楽死をする。

生時の比較

〈壬申刻〉

 金水が強く日干弱である。第三運の大運干丙火は時干と尅去してしまうので、喜となる運が 第五運(戊戌)だけとなる。この運歳では、世界的な業績を残せたとは考えにくい。また、60 才の第六運から北方運に入るが、原局で既に水がかなり強くなっているので、第八運まで寿命 を保てるとは考えにくい。

〈癸酉刻〉

 巳酉丑金局を成し、食傷・財が強く日干極弱である。大運は第三運、第五運が喜となるが、 やはり二運の大運のみに頼る命造では世界的な業績の説明が苦しい。また前の刻と同様に寿限 も疑問となる。

 以上より、甲戌刻と推定した。



カール・グスタフ・ユング

生時について

ユングの生時は、ユングの娘であるグレーテ・バウマンの言による(ゲハルト・ヴェーア著 『ユング伝』)。

解  命

カール・グスタフ・ユングの命造

 日干己土、未月土旺の生まれの「建禄格」。天干は、己癸 尅と甲己合の情不専。地支は未丑冲去。亥支は接近して日時干に有情となり、戌支は接 近して年月干に有情となる。
日干は戌土に通根するものの、甲木からの受尅と食傷へ の洩身、財との制尅がある。
 日干己土は年支亥中の壬水を尅せず、己土濁壬して時干甲 木の滋木培木へ向かう。さらに時干甲木は亥中甲木に有気 であり、囚令とはいえ有力。日干は弱となる。用神は他に有力なものがなく、日干の根 となる旺令の戌中戊を取る。


 食傷は戌中辛金。年支亥は時支戌に有情となり、戌中戊土は湿。戌中辛金も有力となる。 財は月干癸と年支中壬。死令であり、水源の辛あるものの無庚で、官殺に洩らし弱い。 官殺は前述のように有力。日干とその根を疏土する。
 印は戌中丁のみ。時干と亥中の甲木より生ぜられるものの、湿となった戌中戊と日干己に納火され、弱い。
 己土未月土旺には、甲木の疏土と壬癸水の滋潤が必要であるが、いずれも日干に近貼して有 情であり、また、月干癸水が甲己干合し化土するのを防いで、財官の喜の作用の働きが大きい 原局となる。
 日干弱といってもある程度の力量はあり、かつ根もある。陰干弱きを恐れずで、五行流通。 未丑冲去により調候全局に行き渡り、「源半清」と言える。

 次に流を観る。

立運前
 4才己卯年で木太過することを除けば比較的よい流年であり、順調と考えられる。

第一運  6才~16才  壬午
 午未の合と午戌の半会の情で情不専。大運干壬水が原局亥に通根して、午火を制するが、午 火は無力とはならず、日干を強化する面と、財が強化される両面がある。喜忌参半の傾向性あ る大運。
第二運  16才~26才  辛巳
 辛乙尅去。巳亥冲去。時干の甲木を強めていた亥が去となり、時干の甲木が弱まる。さらに 月干癸水が有力な根を失うと共に、戌中の丁火を減力させる亥が去となるため、水源となる戌 中辛金が無力となる。したがって、月干癸水は非常に弱くなり、財の忌。
第三運  26才~36才  庚辰
 天干は乙庚の合と庚甲の尅の情不専。地支は四庫が揃い、未丑解冲。比劫が強化され、大運 干の庚金により時干の甲木が抑えられるが、庚金は年干乙との庚乙合の情もあって力が分散さ れている点が良く、また、食傷生財して月干の癸水を生じ、この癸水が年干の乙と日支丑中癸 水を通じて時干の甲を生じて甲木疏土が無力となっていない組織・構造を見るべきであり、官 殺の尅制、食傷生財に耐えられる大喜の傾向性ある大運。才能を発揮し、世の評価を受け、社 会的地位も上がる。
第四運  36才~46才  己卯
 天干は己癸の尅と乙己尅と甲己合の情不専。地支は亥卯未の木局と卯戌の合の情不専。時干 の甲木が大運干に通根し強化される。官殺太過し、頼むは印の化殺ではあるが、戌中丁では弱 く官殺の忌象。忌の傾向性ある大運ではあるものの己土の特性である「不愁木盛。不畏水狂」 により、大忌となるようなことはない。
第五運  46才~56才  戊寅
 天干は戊癸の合と甲戊の尅の情不専。地支は寅亥合去。時干の甲木を強めていた亥が去とな り甲木が弱まる。一方大運干の戊土が日干の幇けとなる。亥が去となり戌中の辛金が無力とな る。この点が惜しまれるが、強い日干を官殺が抑え喜の傾向性ある大運。
第六運  56才~66才  丁丑
 天干は癸丁の尅の情があるが、癸は原局にて既に情不専となっているので変化なし。地支は 未丑冲の情により未丑解冲。日干強化されると同時に原局大運の二丑癸水に滋木培木された甲 木が疏土開墾することにより社会的地位、名誉を高める喜の傾向性ある大運。
第七運  66才~76才  丙子
 北方が成立し、未は個有の支。不団結の北方ではあるが財多の忌。水多にして木も湿木的傾 向であるが、大運丙あって壬癸水生甲木生丙火生己土と救応する。
第八運  76才~86才  乙亥
 天干は乙己尅となるが、日干は既に原局で情不専。地支は特になし。財官強く、官殺混雑の 忌の傾向性ある大運。

 以上より流は「前半濁、中後半清」。


 次に性情、容姿等を看る参考として、冲尅合を見る前の個有の干支での解命を行っておく。
 土は月令を得、かつ多いが、時干甲木が日柱、時柱の土を制し、年干乙木が未中己土を制す る。結果として土は、相対的に強いが、それほどの力量ではない。
 金は戌中と丑中の辛金である。戌中戊は燥土であり、生金に難であるが、日干己、丑中と未 中の己は湿土(未土は亥と並ぶため湿土となる)であり、よく生金する。さらに、木が土を疏 土しているので、埋金ともならず生金する。無庚の命で金は強くはないが、適度な力量がある。
 水は月干と丑中の癸、亥中の壬である。水源に有情となるのは癸のみ。水は死令であると共 に、木に洩らし、弱い。なお、亥中壬は未中己により濁壬となり、滋木培木に向かう。
 木は年干時干のほか、亥中と未中にある。壬癸水より生じられるが、旺令で有力な土を尅す ため、その力量をかなり減ずる。原局では土に次ぐ強さを持つがそれほど強くはない。
 火は木より生ぜられはするものの、未中と戌中の丁火のみであり、重々の湿土に納火もされ、 その力量は非常に弱い。
 五行を力量順に並べると、土木金水火となる。

性  情

  •  三陰一陽にて、陰性の性格。
  • 注意深く、慎重な性格。律義な一面を持つ。粘り強く努力家であり研究心旺
  •  注意深く、慎重な性格。律義な一面を持つ。粘り強く努力家であり研究心旺盛。精力的に広 範囲の資料収集を行う彼の研究態度に表れている。
  •  親分肌であり、人の長となるタイプ。官殺がよい働きをする大運もあり、実際学会の長とな ったりもしている。
  •  亥の性情として妥協をしない一面がある。例えばフロイトと意見が異なればすっぱりと分か れる決断力がある(これは戌の性情も関係してくる)。また、オカルトと言われようが、自分 が正しいと思えばその研究方針を曲げるようなこともしない。
  •  己土多く、また己土濁壬ともなり、性的関心が大変強い。

病  源

 火は蔵干中に二丁しかなく、重々の湿土に納火される。また、月支未中の丁は月干より尅さ れもしている。よって火の不及が比較的重く、一応火が病源。
 その他は原局において大きく太過不及せず、運歳での変化を見る必要がある。傾向としては、 土以外はそれほどの力量がないので、運歳により不及となり、病を発する可能性がある。
 ただし、原局において五行のバランスは崩れてはいない。それほど重篤な病源はない、と看 るべきであろう。

容  姿

 火が弱く、土が強い。他はあまり力量差はない。
 顔立ちは整っている。ハンサムと言ってよいであろう。女性に人気もあった。
 目はやや小さい。眼鏡をかけている。個有の干支で観た場合、木がやや逆尅気味になるため であろう。
 口の大きさは普通であるが、唇は薄い方。鼻はやや大きい。
 歯については分からない。
 耳は普通からやや大きめ。
 顔の造作で特に不美といったところはない。
 体格はがっちりしている方。ただし、筋肉質かどうかは写真ではよく分からない。 顔は丸みを帯び、土の特徴が出ている。
 背は平均よりは高い方である。あまり強くないが甲木透出のためと考えられる。

六  親

 家柄は非常によい。父は牧師であり、父方の家系からは医者や学者、宰相まで出ている。ユ ング自身が意識をしているのは、同姓同名の祖父である。医師であると共に学者であり、バー ゼル大学の学長にまでなった。ゲーテの隠し子と噂のある人物である。
 母方の家系もよく、牧師の家系である。神学者も出ている。
 家系の良さは年柱の官殺に出ている。官殺は忌であるが、日干己土、土旺の生で官殺がなけ れば比劫やや太過で逆に命が悪くなる。なお、女中がいたくらいであるから、平均的な庶民よ りは財があったろうが、少なくとも金持ちではなかった。
 原局を見ると財、印ともに日干に有情であり、日干弱と言ってもそれほどの弱ではないので 財、印共に大忌とならず。両親との間には特に問題はなかったようである。ただし、両親同士 の仲には問題があったようだ。父を早くに亡くしたのは財弱となる大運を巡ったゆえである。
 兄弟は妹が一人。本命は長男であるのは、日干月令を得るため。
 配偶支は去であるが、去が原局に忌の作用働きを与えることはなく、また他の柱に財もあり、 結婚は普通にし、離婚もしていない。しかし、夫婦間に種々トラブルがあったことが推測され る。
 子供は五人(一男四女だと思われるが未確認)。時柱の官殺有力のため。

適  職

 粘り強く、研究心旺盛な点からして学者は適職である。また、戊己土多く、医学関係も適し ている。

運歳による事象

立運前
 特に大きな事象の記録なし。立運前かどうかはっきりしないが、6才辛巳年に階段で転び、 顎をうち、深い傷を負う。立運前であると忌の流年であり、壬午運であれば南方を成すので、 食傷である金が熔金されての事象と解釈できる。ただし、大運交入後であれば、辛巳年は一月 の辛丑月の一ヶ月のみしかない。
第一運  6才~16才  壬午
 冲尅合の変化なし。
  • 7才壬午年、7才壬午年頃、喘息の発作を伴う仮性喉頭炎を患う。 二壬透出し、原局亥に通根するは水太過。薬神戊土は天干に透出せず、二壬が二午を制し、 戊土をさらに疏土にして生金。二壬の水源ともなる金の病となった(呼吸器系は金)。
  • 11才丙戌年、バーゼルのギムナジウムに入学。
  • 12才丁亥年、初夏、級友に突き倒され頭を打つ。これがきっかけで、以後、神経症の発作を 起こすようになる。半年以上学校を休むものの自力で回復する。大運干壬は二亥に通根し、 日干己土濁壬して生甲。甲は湿木だが二亥に有気あって強化され、甲木制土して木の神経、 頭の忌。戌中辛金の食傷も忌であるが、官殺の甲木強化されての事故・怪我。それがきっか けとなり発症したと思われる。
  • 14才己丑年、エントルブックで療養。 この大運はあまり健康がすぐれなかったようである。
第二運  16才~26才  辛巳
 辛乙尅去、巳亥冲去、財不及の忌の傾向性ある大運。
  • 20才乙未年、バーゼル大学医学部に入学。
  • 21才丙申年、父親が前年の秋より病床につき、この年に死亡。大運の財不及の事象であろう。 父親死亡後、経済的に困窮する。親戚の援助と、自分でも働いて何とか切り抜け大学を卒業。
  • 25才庚子年、国家試験に合格し、大学病院の第二助手となる。天干は庚甲尅と乙庚合により 情不専で変化なし。地支は北方成立し、その他は個有の支となる。財が一転して太過となる が、一年のことなので大きな影響なし。
第三運  26才~36才  庚辰
 四庫揃い未丑解冲、日干が強化されると共に有力な食傷が大運干に透出し、喜の傾向性ある 大運。才能を発揮し、社会的地位も向上する。
  • 28才癸卯年、結婚。大学病院の助手となる。基本的に大運の喜象が表れていると考えられる が、前年から天干が財の流年であり、結婚、昇進となったと解釈もできる。
  • 30才乙巳年、大学病院の上級医となる。大学で講師も務める。
  • 31才丙午年、フロイトとの往復書簡の始まり。 この後、フロイトには既に弟子がいたにも関わらず、フロイトから後継者として期待をかけられる。
  • 34才己酉年、大学病院を辞し、診療所開設。
  • 36才辛亥年、国際精神分析学会設立。初代会長となる(次の大運かどうか時期不詳)。
第四運  36才~46才  己卯
 冲尅合の変化なし、官殺が強化される忌の傾向性ある大運。第一次世界大戦勃発による環境 の悪化を意味しているのかも知れない。さらに、時期がはっきりしないのだが、このころ複数 の女性と関係があったとも言われている。己の象意と、官殺忌の象意である、社会的規範から の逸脱と解釈できる。
  • 37才壬子年、この年発表した「リビドーの変遷と象徴」によってフロイトとの考えの相違が 明らかになり論争。独自の分析心理学を創始。
  • 39才甲寅年、国際精神分析協会を脱退。フロイトから完全に離反する。第一次世界大戦勃発。 抑留所軍医官として兵役服務。
  • 41才丙辰年、捕虜収容所の軍医司令官となる。
第五運  46才~56才  戊寅
 寅亥合去、日干が強化され、官殺の尅制に耐えられる。喜の傾向性ある大運。社会的地位向 上。研究活動も続ける。
  • 47才壬戌年、母親が突然死亡。壬水により滅火されての事象とも解釈できるが、母親は74才 であり天寿とも言え、本命の事象として無理に解釈する必要もないと思われる。
  • 55才庚午年、ドイツ精神療法学会名誉会長。一般医学的心理療法協会副会長。
第六運  56才~66才  丁丑
 未丑解冲し、日干強化され喜の傾向性ある大運。精力的に研究活動を行う。色々な大学より 名誉学位授与される。
  • 57才壬申年、チューリッヒ市文学賞。
  • 58才癸酉年、一般医学的心理療法協会会長就任。また各界の学者と共にヨーロッパの秘教的 伝統を研究する「エラノス会議」を設立。
  • 59才甲戌年、国際一般医学的精神療法学会設立。会長に就任。
第七運  66才~76才  丙子
 北方全となり、未は個有の支、水太過し、薬神戊土不透。死令の丙火あって、水木火土と通 関する救応あるも不及。前運までの喜の後遺あるも、忌象も憂える大運。特に健康面注意。
  • 68才癸未年、バーゼル大学心理学正教授。
  • 69才甲申年、心筋梗塞にて教授を辞任。足を骨折。心筋梗塞は心臓の動脈が詰まる病気であ り、その誘因として高脂血症が疑われる。長年の生活習慣の蓄積と考えるべきである。その 際注意すべきは、原局の個有の干支として観た場合の土多という傾向である。つまり脂肪分が好みであり、 高脂血症の可能性は十分にあることになる。そしてこの大運に入り、水が強化され、 制火と共に湿土による納火が加わり、心臓に症状として表れたものと考えられる。 なお、心筋梗塞は致命傷とならず、回復している。
     次に、骨折は明らかに金の忌象であり、流年の忌象である。食傷の忌象とも考えられる。
     「心理学と錬金術」刊行。
  • 73才戊子年、チューリッヒにユング研究所開設。まだまだその活動は納まらない。
  • 74才己丑年、失神発作。原因はよく分からない。
  • 76才辛卯年、「アイオーン」刊行。
第八運  76才~86才  乙亥
 冲尅合の変化なし、財官強く忌の傾向性ある大運。しかし、研究、執筆活動は続く。
  • 80才乙未年、妻が亡くなる。解釈するとすれば財の忌運であるという程度。本命の事象とし ては、はっきり表れていない、と言うべきであろう。「結合の神秘」刊行。
  • 85才庚子年、キュスナハト名誉市民。
  • 86才辛丑年、六月六日自宅にて永眠。

フロイトとユングの命造比較

 二人の命造を比較してまず気がつくところは、日柱、時柱、月干が同じであり、しかも三夏 の生れというところである。精神分析という新しい分野を切り開く仕事を行い、並び称される 存在となっている二人の命造に、これだけ共通点が多いことには驚きを禁じ得ない。
 やはり、この命造の共通点が業績の相似性につながっているのだと思われる。フロイトは日 干やや弱ではあるが、戊己土の数は全局で多く、ユングも個有の支でみれば戊己土の数が多い。 医薬に関する関心の高さの表れである。また、日干に近貼する甲木が神経、精神活動への関心 を表していると考えられるのではないだろうか。
 大運の流れも第三運、第五運に発展の契機となる運が巡っており、その点も似ている。晩年 は、両者とも北方を巡るが、ユングには第七運に丙火の救応があるのに対してフロイトには救 応がない点が差となっており、フロイトの晩年は不遇であった。
 両者の関係で注目すべきことは一時は後継者とまで考えていながら、結局訣別した点である。 両者の関係が親密であったのは、フロイトの第五運戊戌運に対し、ユングの第三運庚辰運から 第四運己卯運である。フロイトが戊戌運で土の力量が強くなり、日干己土の力量の弱いユング が土のエネルギーを求めたと解釈できる。従って第六運以降、土の力量が急激に弱まるフロイ トとの関係は長続きしなかったのである。
 なお日干の力量につきコメントすると、両者を比較した場合、ユングの方が弱い。事象を見 て分かるように、ユングの場合、運歳により木の尅制に耐えられず、精神のバランスを崩して いる。従って最初はユングの方がフロイトを求めた、と考えられる。
 両者の生命エネルギーは「相関性」の関係であり、この関係はお互いの喜忌が同じであり、 良い時には喜象を増幅する良好な関係となるが、お互いの喜忌を救応し合う関係ではないため、 良好な関係が長く続きにくい傾向がある。
 最後に両者の関心の違いについて考えてみたい。二人とも人間の無意識、深層意識を研究の 主題にしていたのだが、その関心は他の事柄にも及ぶ。フロイトの場合は、芸術論、宗教論、 文化論にも関心が広がっている。日干に有情な位置に丙火があるためと考えられる。火は礼で あり、儀式的な事柄に関係がある。
 これに対し、ユングの場合、「シンクロニシティ」(共時性:一見偶然に見えることにも関係が あるとする考え)という概念を唱えたことから分かるように、秘教的な事柄に関心が及んでい る。命造の違いで見るとフロイトにはない壬水がユングにはあり、その違いの反映ではないか と考えられる。実審的に、壬は霊的な事柄に関係がある。
 以上のように非常に似た命造の二人であり、同じ分野で業績をあげた。二人の関係の疎密、 晩年の違いは運歳で説明がつく。主要な業績以外の関心事に関しては、命造で異なる部分(壬 と丙)の反映ではないか、と考える。


【 参考文献 】

ユングに関する参考文献

生時に関する情報源は『AstroDatabank』
『フロイトの生涯』アーネスト・ジョーンズ著紀伊国屋書店、1969年
『フロイト1』ピーター・ゲイ著みすず書房、1997年
『フロイト家の日常生活』デトレフ・ベルテルセン著平凡社、1991年


フロイトに関する参考文献

『ユング伝』ゲハルト・ヴェーア著創元社1994年
『C.G.ユング』ゲハルト・ヴェーア著青土社1996年
『ユング自伝1・2』アニエラ・ヤッフェ編みすず書房、1972年、1973年