ひばり絶唱

池宮  秀湖

 6月24日。“女王逝く”の訃報はあっという間に全国を走り抜け、親交のあった人々や大勢のファンに さまざまな思いを抱かせた。彼女は再起にすべてを賭け、三つ巴の病魔と闘い続けたが、ついに不死鳥は甦らなかった。
 天才は夭折するものなのでしょうか。思えば、戦後の焼け跡から天才少女歌手としてデビュー、以後43年間にわたって 歌謡界の女王として君臨し、人々に安らぎと夢と希望を与えてくれたが、“一卵性母子”とまでいわれた母の死、 相次ぐ弟達の死に酒をこよなく愛するようになり、身も心もずたずたになってしまっていた。女王「美空ひばり」 と一女性「加藤和枝」との狭間の中にあって、その葛藤は想像を絶するものがあったに違いない。
 昭和の終焉と共に去った、52年の短かい生涯を振り返ってみたいと思う。
(登場人物の敬称は略させていただきます。)

生時寅刻か卯刻か

 『女性自身』昭和48年の取材に、ひばりさんを取り上げた長谷川志づさん(故人)は、
 「ホラ、この帳面にあるだろう。“昭和12年5月29日、女、八百匁(もんめ)、午前五時五分、母・喜美枝、二四歳。” これがひばりだったんだよ。安産だったね。ま、赤んぼうだから特に目立つわけでもなく、ごく普通でしたよ。」
 “ごく普通とはいうものの長谷川さんは、天才歌手の出生に立ち会った人間としての喜びを素直に表していた。”とある。
 しかし、当時は自宅での出産が非常に多く、助産婦一人で取り上げるのですから、大変な慌ただしさの中にあって、 その生時が産声を上げた瞬間のものか、あるいは産湯をつかい体重を計った時のものか、ということが問題になる。 本造の場合、事象面から言ってとても卯刻とは考えられない。それは次のような理由による。

  1. 女命寅支あるは一生職業を持つ。
  2. 性情面において寅支は毅然としたところがあり、自分を偽ることができない。また信念を貫徹する強さ、 厳しさがあり、責任感が非常に強く長男的役割を果たす。
  3. 第一運丙午中の丁亥年(昭和22年4月28日)高知県長岡郡大杉村でバスが転落し、左手首の動脈を切って重傷と なったが、九死に一生を得る(亥が喜神でなくてはならず、寅午火局半会して日干強旺となるところを、亥により解局、 よく丑・辰にて晦火晦光)。
  4. 第三運戊申は、歌手とし、また一個の人間としても円熟の時であり、よく食傷生財して財利を得た大運期、 当然喜神運でなければならない。等々により、産声を上げた瞬間は五時前、つまり庚寅刻生と考えられる。

解 命

美空ひばりの命造

 丙火巳月火旺生の建禄格。日干丙は月令を得て巳・寅に通根して強、時干庚は丑・巳に微根あっても、 丑は巳に阻まれた上に遠隔にて無情、旺令の日干丙に死令の庚は尅されるも、日支辰土が湿土生金する。ただ、食傷生財する といっても、多少理金の傾向もある。調候は壬水なれどなく、湿土の辰・丑によってよく晦火晦光、納火して原局に生気を与える。 用神は辰中の戊土とし、喜神土金、忌神木火、閑神水、始終よろしく、年支丑より始まれば土金水木火土金で終わり、かつ、 用神から始まり喜神で終わっている。しかし何と言っても壬水なきを惜しむ。

第一運  3才~13才  丙午
寅午火局半会して天運干に丙透り、原局庚金熔金され、辰・丑にて辛うじて晦火晦光、 才能発揮するも財利にやや難、芸名がこれを補うが、忌の傾向性ある大運。
第二運  13才~23才  丁未
未丑冲去するも有情なる辰支残り、丁火煆金して、丁火文性、芸能方面にて才能発揮。 よく食傷生財して財利を得る。しかし、流年によっては忌象発生、喜大、忌小の傾向性ある大運。
第三運  23才~33才  戊申
申巳・申寅情不専、食傷生財、生官殺、よく才能発揮しつつ財利、名誉につながる大喜の傾向性ある大運。
第四運  33才~43才  己酉
乙己尅去、巳酉丑金局全と辰酉合にて情不専、天干に食傷なく、流年干支により忌の作用もあるが、 喜の傾向性ある大運。
第五運  43才~53才  庚戌
乙庚・丙庚情不専、辰戌冲去して、用神でもある元機の戊土を失う、忌の傾向性ある大運。

位  相

 源半清、流半清半濁
 芸能人ゆえ社会的地位は不論、財は高の中の中、寿は低の中の高(壬丙不離といわれる調候の壬水なし)。

六  親

  • 横浜市磯子区の魚屋『魚増』の長女として生まれる(生家あまり豊かではなかったのは、年干丁忌、月柱乙巳忌)。
  • 父縁薄し、父50才にて肺結核にて夭折(庚の根、無力・無情)。
  • 母縁厚し、母生涯をひばりに賭ける(印の寅支日干を支える)。
  • 兄弟姉妹、四人(年干丁、月支巳中に丙、時支寅中に丙がある)。
  • 夫縁薄し、結婚後一年七ケ月で離婚、大歌手でなければ良好の方。
  • 子縁薄し、やはり大歌手でなければ二、三人の子供に恵まれたはず(食傷良好であっても時支忌の寅支あり)。
  • 養子縁組、実子なく甥を養子にする(蔵干も含めて食傷の土が多く、「生旺墓絶」の冠帯辰、衰未、墓戌、 養丑に当たり、養子は養がある場合、あるいは土性支が多い場合には可能性大)。
《中  略》

性  情

 丙火巳月生まれで、日干月令を得て旺じているので、長女生まれ。肉親愛、責任感強く、 巳の宗教心も強い。巳・辰の研究心、辰の中には飽きっぽい要素もあるが、丑がよくこれを補う。辰の企画性、 発明、発見、ひらめきが功を奏し、丑の努力と粘り、巳のもつ執念によって信念を貫く強さに変わる。 さらに辰の中には、淋しがりやのくせに淋しさ苦しさを外に出さない向う気の強さもあり、親分肌のところもある。 またロマンを求め、常にハンサムな男性を恋するが長続きしない(職業的問題もある)。寅は毅然として強く、 理が通らなければ許さない面があり、時として感情に走る。 やはり壬水なきためである。二陽二陰の組織であるが、日干丙火の特性、「丙火猛烈。欺霜侮雪。」と 『滴天髓』でいわれる如く、華やか、派手好き、外見を飾る、これと並ぶ庚金は「庚金帶煞。剛健爲最。」で、 時に乙木の柔かさ、やさしさがあってもそれを抑えてしまう。こうした性情面と核のような気質が、 時代的背景・家庭環境、両親より受け継いだ遺伝因子、大運・流年の喜忌の経過と相まって、時には強く、 時にはもろく、矛盾しながら役割性格を形成しつつ、生き生きとした人間像を形造ってゆく。

適性進路 ・ 適職

 本造の場合は、“歌謡界の女王”とまでいわれ、52年の生涯を歌一筋に生き、国民栄誉賞まで受賞したのですから、 適職中の適職と言わなければならない。
 日干丙火は口唇。日支が辰で辰中癸水は耳。音感良好にして、湿土生金により才能発揮の有力なバネとなり、時干庚を 生金、金は咽喉(子供から大人になる時、変声しない特殊な喉をしている。医師の談)。火土による腹式呼吸法抜群に 優れ、咽喉を痛めない。あの比類なき音色・音程・リズム感・表現力は火土金水によるものである。また体型的には首 が太く、背はやや低めで、骨盤が広く、胸が張っている、等々が総合的に絡み合って、そこに遺伝因子が加わる。家庭 にあっては、父増吉は声も良く、楽団まで作ったほどの大の音楽好き、母方の祖母シゲも声が良く、歌も上手で近所の 人を集めては歌っていた。彼女の声の良さは父増吉と、祖母シゲから受け継いだものであり、遺伝因子と四柱八字の 必然性の中で適職としての生命エルギーが見事に花開いていったのである。
 昭和20年、戦争は終わったが、街は空襲で焼け野原となり、家族を失い、食糧もなく、悲嘆にくれた人々でごった返し ていたが、一方では軍国主義から解放され、一種の解放感が日本中にみなぎっていた。こうした荒廃した人々の心に生 きる希望を与えてくれたのが、ラジオの放送であった。娯楽番組が増え、一般大衆の声がどんどん電波に乗るようになり、素人のど自慢ブームの申し子のように美空ひばりが誕生した。
 しかし本造の場合、敗戦後という時代的背景であったことと、家庭と妻の座を捨て、生涯をひばりに賭けた母喜美枝さ んの愛があったればこそ、歌謡界の女王として君臨するに至ったのである。

容  姿

 性情・職業とは不即不離である容姿も、四柱八宇の示す通りであって、基本型は火型であり、 金型と土型が混合し、忌神であるはずの火の口唇が大き過ぎたり、厚過ぎたり、不美であったりしていない点に注目 すべきで、火の忌象を減少させている、と看るべきである。大忌の木、目は一重で多少白目が多く、 湿土の丑・辰あるゆえに鼻は高からず低からずかわいい。耳は壬水なきため小さめ。歯並びは少女時代は不揃いで あったが、歯列矯正により美。笑顔は美しい。毛髪は普通で額広い。壬水なきためまゆ毛薄く、きょうだい縁も薄い。 辰・丑の湿土により皮膚はなめらかでもち肌。火土あるため背は低めでほどよい肉付き。

病  源

 本造の病源を看る限り、取り立てていうほどのものはないが、部位としては木と金の病が発生する可能性大である。 彼女の場合は環境病、つまり長い間の不規則な生活、食事が原因となり、巳の中にある逃避が、辰・丑の酒にのめり 込ませたと言える。
 相次ぐ肉身の死に、「お酒を飲まないで過ごせる方って幸せね………」と。孤独の悲しい酒をあおるようになったの はこの頃からだと言われている。母の死後、間もない頃にはすでに肝臓病に罹っていたが、飲酒は止められなかったよ うである。死亡時には『命理学詳義巻八 事象綸(1)』第三章、第二節にある内臓の諸関連として、次の部位に発病して いた。

  •   肝硬変、脾臓が肥大し、白血球も血小板も減少(乙と水も含む)
  •   間質性肺炎、大腿骨骨頭壊死、食道奥に静脈瘤。

 順天堂病院では「肝硬変」「大腿骨骨頭壊死」「間質性肺炎」の三つの病気の専門医14~15名からなるプロジェ クトチームを構成して、治療に当たった。しかし、6月10日になって容体が変化し、肝機能が著しく低下したため、 薬が効かず、「間質性肺炎」も悪化してきた。
 6月13日、呼吸障害の発作が起こり、動脈血中の酸素濃度も低下したため、医師団はついに、人工呼吸による強化治療 に入った。甲状軟骨(のどぼとけ)の部分を切開して、気管に直接チューブをつけて、ダイレクトに酸素を送り込む方法 である(木・金)。そして、人工呼吸を行うために麻酔をかけて、意識レベルを低下させたが、そのまま意識がもどるこ ともなく、他界してしまった………。
 次に死亡された肉親の病名を記しますが、遺伝因子による病源の近似性に驚かされる。

  • 父-肺結核(50才)金の病。
  • 母-脳腫瘍(68才)木の病。
  • 弟-肺結核による心不全(42才)金の病。
  • 末弟-糖尿病と大量飲酒による急性心不全。(42才)乙木と食傷による事故死。

姓  名

美空ひばりと加藤和枝の名前の比較

 本名の天格丁、原局における丙丁火の忌を芸名天格庚、原局庚の二庚によって、 第一、第二運の南方運火旺運を強化する木を制し、また庚金は生水、癸水のたすけもあって 西方運に大なる発展をしたのですが、原局にも、 本名・芸名にも壬水なきため、52才(己巳年)にて一生の幕を閉じる結果となる。

年譜による主なる事象の解明

 ヒット曲は『  』内に、売上げベスト20までは順位と枚数を記し、世相は〔  〕内に記入。

《中  略》
第五運  43才~53才  庚戌
 辰戌冲去。辰支は、干の特性、組織構造、その位置、支自体が持つ質的要素などから言って本造の元機となる支であり、 調候の代用的役割と通関的役割を果たし、食傷生財、財生官殺へと一気に連繋して原局に生気を与え発展してきたが、 去により大忌の運となる。
  • 43才庚申(昭55)
    辰戌冲去。晦火晦光の辰支を失うが、日干財に任じ得、喜の流年。『おまえに惚れた』ヒット。16位五〇万枚。 五〇万枚以上のヒットは昭和42年以来13年振り。〔山口百恵引退〕。
  • 44才辛酉(昭56)
    巳酉丑金局全の情と辰酉合(化すれば金)の情不専。前年に続き金の気強力となり、 天干に土不透ゆえに流通を欠く。7月23目恩人田岡一雄死亡。7月29日母喜美枝、脳腫瘍で死亡。金の財、 太過するは破印し、母の身上に災禍生ずる(母は母なりの命運あるも、生命エネルギーの相関性あり)。 金気太重はまた木を尅傷し、神経、精神に打撃。
  • 46才癸亥(昭58)
    丁癸尅去。辰戌冲去し、土の通関の作用減少し、大運干庚が生水するも、火金尅戦の忌。 新宿コマ劇場20年連続出演記念、初のミュージカル「水仙の歌」、10月24日弟哲也、肺結核による心不全で死亡 (42才)。〔大韓機事件〕。
  • 47才甲子(昭59)
    大運土旺運に入り、ほぼ喜、母と弟の死、災禍続き、2月ひばり御殿の建替えを始める。12月完成したが、 良好とはならず、この頃から淋しさをまぎらわせるために酒に溺れるようになる。
  • 49才丙寅(昭61)
  • 辰戌冲去、日干強旺にて丙火熔金、わずかに年支の丑が救応するのみ、過去の実績の延長線上により喜の象は あるものの忌。デビュー40周年記念リサイタル、萬屋錦之助と新宿コマで共演、大入り満員。 この時すでに足腰の痛みをおさえて舞台に出演。肝臓も悪化(丙火熔金、金の病と、丑中癸水ありて寅木を滋木・培木、 木の病)。『愛燦燦』レコーディング。
  • 50才丁卯(昭62)
    寅卯辰の東方全。木多金欠、木火炎上にて大忌。4月22日「左右大腿骨骨頭壊死」 「肝硬変」で福岡総合病院に入院、8月3日退院。10月9日『みだれ髪』『塩屋崎』レコーディング。 12月13日京都で「日本の宴」に出演。現代医学の進歩により延命はしたものの、本来ならば、 この年死亡してもおかしくない。〔7月友人、石原裕次郎死去〕。
  • 51才戊辰(昭63)
    食傷生財して喜。1月、2月ハワイで静養。ろうそくの消えんとする前の如く光輝発して、 4月11日東京ドームで復活公演。39曲を熱唱し、五万人の聴衆の度肝を抜く。5月全国ツアー開始。 10月、12月帝国ホテルでディナーショー。重病の身でコンサートツアーを続けるのを主治医は反対したが、 彼女は“命ある限り歌い続ける”と言って命の残り火をかき立てるように歌い続けた。〔東京ドーム開場〕。
  • 52才己巳(平元)
    辰戌冲去。流年干己土は燥土不能生金。一点の丑中癸水を制し、日干は流年支巳中にも通根して強となり、 大運干庚を熔金、金の気絶し、洩身もできず、大忌。2月6目福岡で全国ツアーを開始するも8日に済生福岡総合病院に 再入院。10日退院。3月15日順天堂大学病院に入院、19日退院、21日自宅でラジオの生放送に出演後、 順天堂大学病院に再入院。一時、元気な姿の写真も公表されたが、6月24日午前0時28分、間質性肺炎による 呼吸不全で死去。享年52才。
    7月22目青山葬儀場で葬儀。〔1月7日昭和天皇崩御。元号平成となる。リクルート事件〕。
  • 録音曲数 1931曲
  • 出演映画 160本
  • 国民栄誉賞受賞(平成元年7月6日付)
  • 戒名「慈唱院美空日和大姉」

 惜別の悲しみをこらえつつ、ご冥福を心からお祈りいたします。

《 参考文献および引用文献 》

  • 『美空ひばり-時代を歌う』大下英治著・新潮社。
  • 『ありがとう!美空ひばりさん』平凡最後の特別編集・マガジンハウス。
  • 『美空ひばり永遠』週刊女性増刊号・主婦と生活社。
  • 『ああ!美空ひばり不死鳥のように』女性自身「緊急」編集・光文社。
  • 『美空ひばり』朝日新聞社編・朝日新聞社。
  • 『中日スポーツ』。